東京地方裁判所 平成3年(ワ)1535号 判決 1996年5月27日
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告は、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)に対し金六〇〇〇万円、同甲野春子(以下「原告春子」という。)及び同甲野一郎(以下「原告一郎」という。)に対し各金二〇〇〇万円、並びにこれらに対する平成三年五月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員の各支払をせよ。
第二 事案の概要
一 本件は、亡甲野太郎(以下「太郎」という。)の妻子である原告らが、太郎が、東京大学医学部附属病院分院(以下「東大分院」という。)において胃癌の手術を受けた後、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(Methicilln-resistant Staphylococcus aureus。以下「MRSA」という。なお、メチシリン以外の抗生剤にも耐性を持つ多剤耐性黄色ブドウ球菌についても、以下同様の略語を用いる。)感染症に罹患し、死亡したのは、東大分院の医師らの過失によるものであると主張して、東大分院を開設する被告に対し、診療契約上の債務不履行又は使用者責任に基づき、原告花子につき九三二〇万五八〇〇円の内金六〇〇〇万円、同春子及び同一郎につき各五〇六三万五〇〇〇円の内金二〇〇〇万円の損害賠償、並びに右各金員に対する平成三年五月一日(訴状送達の日の翌日)から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
二 争いのない事実等
1 当事者等
(一) 太郎は、昭和二四年三月一四日生まれの男性である。また、原告花子は太郎の妻、原告春子及び同一郎は太郎の子である(争いなし。)。
(二) 被告は、東京都文京区本郷七丁目において東京大学医学部附属病院本院(以下「東大本院」という。)を、東京都文京区目白台三丁目において東大分院を、それぞれ開設している(争いなし。)。
2 太郎は、昭和六三年三月一四日(以下、昭和六三年については年を省略して「三月一四日」のようにいう。)、東大分院外来外科で初診を受け、検査の結果、早期胃癌と診断された。そして、同月一八日、国との間で診療契約を締結し、胃癌の手術を目的として東大分院に入院し、東大分院の医師らから診療を受けた(争いなし。)。
3 三月三一日、蔡猷振医師の執刀のもと、太郎に対し、胃を食道側の四分の一を残して切除し、胃癌を摘出する手術(根治的胃亜全摘出術。以下「本件手術」という。)が行われたが、四月三〇日に太郎は死亡した(争いなし。)。
4 当事者間に争いのない事実、《証拠略》によれば、本件手術後の太郎の病状、東大分院の医師らが行った医療行為の内容は、概ね次のとおりである(なお、抗生剤の抗菌薬名、略号等については、乙五〇〔抗菌薬一覧表〕による。)。
(一) 四月一日
腹部膨満があり、太郎が腹痛を訴えたため、直腸からネラトン(チューブ)を挿入してガス抜きを行った。体温は三八・一度(午前六時)、三七・一度(午後三時)、三七・四度(午後六時)であり、午後三時以降の脈拍数は、一分あたり一〇二回(以下「一〇二/分」のようにいう。)から一一三/分の間であった。また、血液検査の結果、白血球数は一万三二〇〇であった。さらに、胃ゾンデの排液流出量(以下「胃液量」という。)は一〇〇ミリリットルであったが、その色は透明であった。
(二) 同月二日
腹部膨満が高度であった。体温は三七・四度(午前六時及び一一時)、三七・三度(午後三時)、三八・八度(午後五時)、三八・三度(午後九時)であり、脈拍数は一一八/分から一三二/分の間であった。胃液量は合計で約二五〇〇ミリリットルと多量であった。
(三) 同月三日
(1) 午前八時に水様便が一回あった。腹部ドレーンからの浸出液は淡黄色であった。午前一一時の体温は三九・七度、脈拍数は一一〇/分であった。
(2) 午後三時の段階で、体温四一度、脈拍数一八〇/分、血圧は最高九二・最低四七(以下「九二/四七」のようにいう。)であり、午後三時三〇分にはいわゆるショック前状態となった。そのため、解熱剤及び鎮静剤の投与、並びに、補液追加の措置がとられた。なお、夕方ころの白血球数は五三〇〇であった。
(3) 右(2)のような措置にもかかわらず状態は改善せず(なお、午後六時以降、時間尿量がマイナスとなった。)、午後七時の段階で、緊急の開腹手術を行うことが決定された。その後、午後七時五〇分にはショック状態となった(血圧六三/二九、脈拍数一五〇/分以上)。
そして、午後九時二〇分、大原毅医師を執刀者、蔡医師及び河原医師を介者として、緊急の開腹手術が行われ、小腸の内容物を吸引するとともに、直腸からネラトンを挿入してガス抜きの措置がとられた(手術終了午後一一時五〇分。以下「本件再手術」という。)。なお、本件再手術の際の開腹所見は、小腸が全体に高度に膨張し、腸間膜側の血行がやや悪く見えたものの、肉眼では縫合不全や、ショックの原因となるような異常所見は認められなかった。
(四) 同月四日
(1) 本件再手術終了後、午前二時の体温は三九・〇度、脈拍数は一五二/分であり、午前二時二〇分の血圧は九二/六〇であった。その後、体温は三八・三度から三九・一度の間、脈拍数は一二九/分から一五四/分の間で推移し、時間尿量は二〇ミリリットル以上が保たれるようになった。血圧は、午前三時四〇分から午前四時三〇分までの間の測定では最低が三八まで低下したが、その後、徐々に回復し、午後六時には一一九/六三となった。また、血液検査の結果、白血球数は三六〇〇、五七〇〇であった。なお、午後一時の時点で胃液量は一〇〇〇ミリリットルであった。
(2) 東大分院の医師らは、それまでの症状の検討の結果、腸炎型のMRSA感染症(以下「MRSA腸炎」という。)の可能性を疑い、本件再手術の際に採取された腹水の細菌培養検査を依頼するとともに、他の抗生物質と併せて、当時MRSAに有効との報告例があったチェナム(抗菌薬名・イミペネム〔略号・IPM〕)の投与を午後から開始した。
(五) 同月五日
午前九時四〇分に気管切開を行った。午後三時の時点では、血圧一二三/六八、脈拍数一〇六/分、体温三七・四度であった。また、白血球数は七一〇〇であった。なお、東大分院の医師らは、この時点で、太郎から採取された胃液及び腸液の細菌培養検査を依頼した。
(六) 同月六日
午後六時の時点で、血圧一五三/八三、脈拍数九二/分、体温三七・三度であった。腹部膨満が改善しないため、当時MRSAに有効との報告があったホスミシン(抗菌薬名・ホスホマイシン〔略号・FOM〕)の投与が開始された。なお、白血球数は八〇〇〇、八七〇〇であった。
(七) 同月七日
体温は、最高三七・三度、最低三六・五度であった。正午には、水様便を多量に排泄し、初めて重症の下痢症状が現れた。また、同月五日に採取した胃液及び腸液の細菌培養の結果、黄色ブドウ球菌が確認された。
なお、この日の血液検査の結果報告書には、太郎の病名としてMOF(多臓器不全)との記載がある。
(八) 同月八日
抗生物質感受性試験の結果、太郎の臨床症状の起因菌(感染症の原因となっている細菌。起炎菌ともいう。)がMRSAと診断され、タリビット(抗菌薬名・オフロキサシン〔略号・OFLX〕)、セフメタゾン(抗菌薬名・セフメタゾール〔略号・CMZ〕)の投与が開始された。また、腎臓機能障害のため血液透析が開始された。なお、この日から、胃出血が出現した。
(九) 同月九日
太郎から検出されたMRSAに最も薬剤感受性の高いバンコマイシン(略号・VCM)の経静脈投与、及び、ミノマイシン(抗菌薬名・ミノサイクリン〔略号・MINO〕)の投与が開始された。また、肝臓機能障害のため透析療法が行われた。
(一〇) 同月一三日
発熱、腹部膨満、消化管出血、腎機能不全、呼吸不全状態が増悪の傾向にあったため、腸管の減圧と腸内容の排除を目的として、大原医師を執刀者、伊原治医師、蔡医師及び正木幸善医師を介者として緊急手術(手術開始午後四時三〇分、手術終了午後七時)を行い、小腸瘻、大腸瘻を作成するなどの措置を講じた。
(一一) その後、太郎は、各臓器障害のほか汎発性血管内凝固症候群(DIC)を含む多臓器障害を併発し、同月三〇日午前二時九分、心不全のため死亡した。
三 原告らの主張
1 太郎へのMRSAの感染経路
太郎は、<1> 東大分院内に存在していたMRSAに感染したか、<2> 同人がもともと保有していたメチシリン感受性黄色ブドウ球菌(以下「MRSA」という。)が、東大分院における本件手術後のモダシン(第三世代セフェム系抗生剤)の大量投与によって多剤耐性化したMRSAに感染したかのいずれかである。すなわち、太郎は、院内感染したMRSAによって感染症となったものである。
2 東大分院の医師らの過失
(一) 本件当時におけるMRSAについての問題状況
本件当時、臨床現場においてMRSAによる院内感染症は公知の事実であった。すなわち、外科病棟がMRSAによる院内感染症の発生源として重要であること、消化器外科においてはMRSAによる術後感染症が多発していたことが知られ、MRSAの院内感染防止対策の重要性についても認識されていた。さらに、東大本院と東大分院とは一体の病院というべきところ、東大本院では、昭和六二年にMRSA腸炎が多発したため、これについての取組みが行われ、本件当時、第三世代セフェム系抗生剤を術後の予防投与として用いることはMRSA感染症を誘導する結果となり不適切であること、予防投与は術後四八時間に止めるべきことなどが指摘されていた。
(二) MRSAの院内感染を防止すべき注意義務を怠った過失
(1) MRSAの院内感染防止対策を怠った過失(太郎が、東大分院内に存在していたMRSAに感染した場合)
<1> 右(一)に照らすと、本件当時、東大分院の医師らには、次のようなMRSAの院内感染症防止対策を講ずべき注意義務があった。
{1} 院内感染対策委員会の設置等
MRSAの院内感染防止のためには、MRSA感染防止対策としての院内感染対策委員会の設置、院内感染防止対策計画の策定、感染対策実施担当者の設置が不可欠である。
{2} 術後回復室の管理等
太郎が本件手術後に入室していた術後回復室は、感染防御機能が低下している患者のための回復室であり、一般的に院内感染が起こりやすい場所であるから、入念な感染防止策が必要である。
<2> ところが、本件当時の東大分院の状況は次のとおりであったから、東大分院の医師らには、MRSAの院内感染防止対策を怠った過失があるというべきである。
{1} 院内感染対策委員会の設置等について
当時、東大分院においては、右<1>{1}は実行されておらず、MRSAの院内感染防止のため必要な医師らに対する教育や、病院全体のサーベイランス(疫病監視)も行われていなかった。
{2} 術後回復室の管理等について
東大分院の術後回復室は、出入口がカーテンで仕切られただけで手洗いの設備もマット類も設置されておらず、手洗いやガウンテクニックが行われないまま出入りがされるなど、十分な感染防止対策がとられていなかった。また、治療に関係のない者の入室は禁止すべきなのに、一般人の入室は全く規制されていなかった。
(2) 東大分院の医師らが、本件手術後、第三世代にセフェム系抗生剤を濫用した過失(太郎が保有していたMRSAが多剤耐性化した場合)
本件当時、MRSA感染症は、手術後の感染予防に、第二、第三世代セフェム系抗生剤を投与することにより発症する危険性が高いとされていたから、東大分院の医師らにおいては、本件手術後の感染予防に第二、第三世代セフェム系抗生剤の使用は避け、かつ、抗生剤の投与を四八時間以内の短期にとどめるべき注意義務があった。それにもかかわらず、右医師らは、太郎に対し、本件手術後の感染予防のため、三月三一日から四月四日までの間に、合計一〇グラム(二グラムを一日二回)もの過大な量のモダシン(第三世代セフェム系抗生剤)を投与した。
(三) MRSA感染症の発症を見落とし、早期の適切な治療を怠った過失
(1) 四月二日の時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失
三月三一日の本件手術後から四月二日までの太郎の臨床症状はMRSA腸炎を強く疑わしめるものであったこと、右(二)(2)のような抗生剤の投与状況に照らすと、東大分院の医師においては、遅くとも四月二日の夕方には太郎をMRSA感染症と診断すべきであったのに、これを見落とした過失がある。
(2) 四月三日午前中の時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失
右(1)時点までの臨床症状に加え、四月三日午前中の太郎の臨床症状に照らすと、東大分院の医師においては、遅くとも四月三日午前中(医師診断時)には太郎をMRSA感染症と診断すべきであったのに、これを見落とした過失がある。
(3) 四月三日午後七時までの時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失
右(2)の時点までの臨床症状に加え、同日午後七時までの太郎の臨床症状に照らすと、東大分院の医師においては、遅くとも同日午後七時までには太郎をMRSA感染症と診断すべきであったのに、これを見落とした過失がある。
(4) 本件再手術を行った過失
右(3)のとおり、東大分院の医師らにおいては、四月三日午後七時の時点までに太郎をMRSA感染症と診断することができたから、本件再手術を行うことは、太郎の体力を消耗させるだけであって、治療としては有害であった。すなわち、東大分院の医師には、四月三日に本件再手術を行った過失がある。
(5) 本件再手術直後の時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失
右(二)(2)のような抗生剤の投与状況、本件再手術時の開腹所見から腹膜炎等の通常の術後感染は否定されたこと、それまでの太郎の臨床症状等に照らすと、東大分院の医師らにおいては、四月三日の本件再手術直後には太郎をMRSA感染症と診断すべきであったのに、これを見落とした過失がある。
(6) 本件再手術直後に胃液の細菌培養検査をしなかった過失
右(5)のとおり、東大分院の医師らにおいては、本件再手術直後の時点で太郎をMRSA感染症と診断すべきであった。そして、MRSA腸炎では、胃液からもMRSAが検出されるから、東大分院の医師らにおいては、右時点で胃液の細菌培養検査を行うべきであったのに、これをしなかった過失がある。
(7) 四月四日午後六時までの時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失
太郎の臨床症状、同日の術後検討会においてMRSA感染症の疑いが指摘されたことに照らすと、東大分院の医師らにおいては、四月四日午後六時までには太郎をMRSA感染症と診断すべきであったのに、これを見落とした過失がある。
(8) 四月五日の時点で、バンコマイシン、ミノマイシンの使用を開始しなかった過失
東大分院の医師らにおいては、四月五日の時点で、MRSA感染症に有効とされているバンコマイシン、ミノマイシンの使用を直ちに開始すべきであったのに、これを怠った過失がある。
3 右2の過失と太郎の死亡との間の因果関係
東大分院の医師らがMRSAの院内感染防止措置を十分に行っていれば、太郎がMRSA感染症によって死亡することはなかった(右2(二)の過失について)。また、東大分院の医師らにMRSA感染症の初期症状の見落としがなく、早期に適切な治療が施されていれば、太郎は死亡しなかったものである(右2(三)の過失について)。
4 損害額
(一) 積極損害 合計三七万九六〇〇円
(内訳)
(1) 入院雑費 三万三六〇〇円(一日一二〇〇円×二八日〔四月三日から太郎の死亡日まで〕)
(2) 付添費 一二万六〇〇〇円(一日四五〇〇円×二八日)
(3) 交通費(タクシー) 七万円(一日二五〇〇円×二八日)
(4) 医師謝礼 一五万円
(二) 葬儀費用 二三五万六二〇〇円
(三) 太郎の逸失利益 一億二四一四万円
(1) 就労可能年数 二八年間(三九歳から六七歳まで)
(2) 生活費割合 三〇パーセント
(3) 昭和六三年当時の年収 一〇二九万八二三六円
(計算式) 一〇二九万八二三六円×(一-〇・三)×一七・二二一(右(1)に対応する新ホフマン係数)=一億二四一四万円 (一万円未満切捨て)
(四) 慰謝料
(1) 太郎本人の死亡慰謝料 二〇〇〇万円
(2) 原告ら固有の慰謝料 各一〇〇〇万円
(五) 相続
原告らは、右(三)及び(四)(1)の損害賠償請求権を、原告花子二分の一、同春子及び同一郎各四分の一の割合で相続した。
(六) 弁護士費用
原告らは、本件の訴訟活動を原告ら訴訟代理人らに委任し、報酬として、原告花子においては八四〇万円の、同春子及び同一郎においては各四六〇万円の支払を約した。
(七) 原告ら各自の損害額
(1) 原告花子 合計九三二〇万五八〇〇円(うち六〇〇〇万円を請求)
(内訳)
<1> 積極損害及び葬式費用 二七三万五八〇〇円
<2> 逸失利益及び慰謝料(相続分) 七二〇七万〇〇〇〇円
<3> 固有の慰謝料 一〇〇〇万〇〇〇〇円
<4> 弁護士費用 八四〇万〇〇〇〇円
(2) 原告春子及び同一郎 合計各五〇六三万五〇〇〇円(うち各二〇〇〇万円を請求)
(内訳)
<1> 逸失利益及び慰謝料(相続分) 各三六〇三万五〇〇〇円
<2> 固有の慰謝料 各一〇〇〇万〇〇〇〇円
<3> 弁護士費用 各四六〇万〇〇〇〇円
四 被告の主張
1 右三1(太郎へのMRSAの感染経路)について
太郎がMRSA感染症に罹患した可能性が高いことは認めるが、院内感染したMRSAが原因であることは否認する。MRSAを含む黄色ブドウ球菌は、いわゆる常在細菌として健康人の鼻腔や咽頭にも存在し得るから、太郎がMRSAに院内感染したと断定することは不可能である。
2(一) 右三2(一)(MRSAに関する問題状況)について
(1) 原告らの主張は、否認し争う。
(2) 被告の主張
昭和六三年当時、MRSAは未だ先進的なテーマであり、MRSA腸炎についても、広く臨床医がその存在を認識するには至っていなかった。また、MRSA感染症の治療方法等についても臨床的には結論が出ていなかった。さらに、東大分院は東大本院とは別個独立の病院であり、東大本院のMRSA腸炎の症例等について知り得る立場になかった。
(二) 右三2(二)(MRSAの院内感染を防止すべき義務に違反した過失)について
(1) 右三2(二)(1)(MRSAの院内感染防止対策を怠った過失)について
<1> 原告らの主張中、本件当時、東大分院では特にMRSAを念頭においた院内感染防止対策はとっていなかったこと、術後回復室の出入口がカーテンで仕切られていたこと、本件ではガウンテクニックを行っていなかったことは認めるが、その余は否認し争う。
<2> 被告の主張
{1} 院内感染対策委員会の設置等について
MRSAの院内感染防止対策は、その他の病原菌についてのそれと基本的には同一であるところ、東大分院では、昭和六二年四月発足の分院感染対策委員会を中心にして、本件以前から各種の院内感染防止対策を行っていた。
{2} 術後回復室の管理等について
術後回復室は、早期に術後の重篤な合併症を発見し、効率的な管理・治療が行えるよう、ナースステーション、医師勤務室に隣接して設置された部屋であり、格別の隔離を行うものではない。また、東大分院では、回診時にはアルコール綿を常備し、流水による手洗いを実施していた。なお、ガウンテクニックは、有用だが、家族等の不慣れな者に行わせると院内感染防止の観点からは危険性を否定できないうえ、豊潤な予算がない現状では、院内感染防止対策として、手洗いの励行、消毒用アルコールによる手拭き以上に優れた手段はない。さらに、東大分院の術後回復室には、原則として患者に面会できない旨の掲示がされていたが、太郎については、関係者から、病棟管理上の協力が得られなかったものである。
(2) 同(2)(本件手術後の感染予防投与において、第三世代セフェム系抗生剤を濫用した過失)について
<1> 原告らの主張中、東大分院の医師らが、太郎に対し、術後感染予防の目的で、原告ら主張のとおりモダシンを投与した事実は認めるが、その余は否認し争う。
<2> 被告の主張
第二、三世代セフェム系抗生剤を術後感染予防に使用しないことがMRSA感染症の防止に有効であるとの知見が一般的になったのは本件以後であり、本件当時は、二時間を超える長時間手術、癌の根治手術では、感染予防のためこれを手術後五日ないし七日間使用するのが通例であった。また、太郎のように肥満を有する患者の胃癌手術後は、腹腔内の脂肪組織が融解して感染を誘発することが多く、濃度依存性のあるモダシン(第三世代セフェム系抗生剤)を一日四グラム程度用いるのは通例であった。
(三) 右三2(三)(太郎のMRSA感染症の症状を見落とし、早期の適切な治療を怠った過失)について
(1) 原告らの主張は、いずれも否認し争う。
(2) 被告の主張
<1> 右三2(三)(1)ないし(3)((1) 四月二日、(2) 四月三日午前中、(3) 四月三日午後七時までの各時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失)について
右(一)(2)のようなMRSAに関する当時の問題状況、太郎の臨床症状はMRSA腸炎としては非定型的なものであったこと、太郎に対する抗生剤の投与方法は当時の医療水準に照らせば妥当であったこと、右各時点では細菌培養検査で起因菌がMRSAと確定されていなかったこと等に照らすと、右各時点において、東大分院の医師らが、太郎をMRSA腸炎と診断しなかったことに過失はない。
<2> 同(4)(本件再手術を行った過失)について
右<1>のような事情に加え、本件再手術により、一時は以後の治療が継続して行える状態にまで太郎を回復させることができたうえ、少なくとも縫合不全による汎発性腹膜炎や絞扼による小腸の壊死は否定できたこと、開腹手術によって救命し得たMRSA腸炎の症例も報告されていること等に照らすと、右手術は適切な措置であったというべきであり、東大分院の医師らに過失はない。
<3> 同(5)ないし(7)((5) 本件再手術直後に太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失、(6) 本件再手術直後に胃液の培養検査をしなかった過失、(7) 四月四日午後六時までの時点で太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失)について
右<1>のような事情に加え、東大分院では、当時、細菌培養検査の結果に基づいて薬剤感受性検査によって起因菌が確定されるまでには早くとも三日間を要したところ、本件では、その結果が判明するより前の四月四日午後には、MRSAに有効とされていた抗生剤の投与が開始されている。したがって、これらの点についても、東大分院の医師らに過失があるとはいえない。
<4> 同(8)(四月五日の時点で、バンコマイシン、ミノマイシンの使用を開始しなかった過失)について
本件当時は、現在ではMRSA感染症の治療には逆効果とされるβ-ラクタム系の薬剤(β-ラクタム剤)もMRSAに有効とされるなど、MRSA感染症の治療法は確立していなかった。また、バンコマイシンの効能書にはMRSA感染症の治療薬との記載はなかったうえ、文献上も、今日のように唯一の治療薬で第一選択であるとはされておらず、むしろ最後の手段と位置付けられていた。したがって、この点についても、東大分院の医師らには過失はない。
3 右三3及び4について
原告らの主張は、いずれも争う。
五 争点
1 太郎がMRSAに院内感染したか否か。
2 分院の医師らの過失の有無
(一) 東大分院の医師らに、MRSAの院内感染を防止すべき注意義務を怠った過失があったか否か。
(二) 東大分院の医師らに、太郎のMRSA感染症の症状を見落とし、早期の適切な治療を怠った、右三2(三)(1)ないし(8)の過失があったか否か。
3 右2の医師らの過失と、太郎の死亡との因果関係
4 損害額
第三 争点に対する判断
一 争点1(太郎がMRSAに院内感染したか否か。)について
1 争いのない事実等、《証拠略》によれば、(一) MRSAは、我が国において、一九八〇年代に入って急激に増加してきた細菌であり、いわゆる院内感染症(入院患者又は医療従事者が病院内において感染した感染症)を引き起こす細菌として重視されていること、(二) 東大分院においては、本件当時MRSAそのものを念頭においた院内感染防止対策は、格別とられていなかったこと、(三) 太郎においては、東大分院に入院中、右第二の二のような臨床症状が発症し、右の検査結果にも照らせば、その原因はMRSA腸炎である可能性が高いことが認められる。
2 一方、《証拠略》によれば、次のような事情が認められる。
(一) MRSAを含む黄色ブドウ球菌は、平素は無害であり、これに感染した場合であっても常に感染症が発症するわけではなく、保菌者に免疫機能の低下等の事態が生じた場合に、感染症の起因菌として人体に悪影響を及ぼすことがある。そして、MRSA感染症は、右のような事態が生じてから発症するまで、早くて二日、通常は一週間程度の時間を要するものといわれている。したがって、MRSA感染症の発症時期から逆算して、MRSAの感染時期を特定することはできない。
(二) MRSAは、入院患者から検出される割合が高いが、外来患者や健康な者から検出される場合もある。そして、MRSA感染症の発生機序としては、(1) 入院前に、既にMRSAに感染していた場合、(2) 入院後、医療従事者が保菌していたり、病院内に存在していたMRSAに感染した場合、(3) 手術前から患者が保有していたMSSAが、手術後の抗生剤の投与により短期間で薬剤耐性を獲得してMRSAに変化した場合、(4) 抗生物質の長期投与により菌交代現象として日和見感染的にMRSA感染症が発症する場合などが考えられる。
(三) 東大分院は、ベッド数五八床(うち、現実に使用しているもの五二床)を有する病院であるが、本件がMRSA腸炎と考えられる症例の第一例であり、その後もMRSAの臨床例としては二例の報告があるのみである。しかし、本件の前後に、東大分院において、特にMRSA感染症が流行していたことを窺うべき資料はない。
(四) 東大分院においては、昭和六二年七月にB型肝炎等の血清肝炎の対策委員会とエイズの対策委員会とを合同させて院内感染対策委員会を発足させ、院内感染に対する一般的な取組みがされていた。MRSAについての院内感染防止対策と、それ以外の病原体についての院内感染防止対策とで、行うべき措置の内容に格別の差異はない。
3 右2のような各事情に、(一) MRSAは一般の黄色ブドウ球菌と同様に人の鼻腔、口腔内に定在している常在菌である旨の《証拠略》、(二) 太郎のMRSA感染症が、同人が入院前に保菌していたMRSAによるものであるか、東大分院で院内感染したMRSAによるものかを確定することはできない旨の《証拠略》、(三) 本件以後に東大分院全体の職員の鼻咽頭のMRSAの検査を行った結果、看護婦及び医師にはMRSAの保菌者はいなかった旨の《証拠略》、(四) 平成元年ころ東大分院の設備を検査したところ、外科からはMRSAは検出されなかった旨の《証拠略》等を併せ考慮すると、本件において、太郎がMRSAに院内感染したものと断定することはできないし、太郎がMRSAに院内感染したことを推認することもできない。
4 よって、争点1に関する原告らの主張は理由がない。したがって、太郎がMRSAに院内感染したことが前提となる争点2(一)(東大分院の医師らに、MRSAの院内感染を防止すべき注意義務を怠った過失があったか否か。)については、判断する必要がないことになる。
二 争点2(二)(東大分院の医師らに、太郎のMRSA感染症の症状を見落とし、早期の適切な治療を怠った過失があったか否か。)について。
1 前提事実
(一) 争いのない事実等、《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。
(1) MRSA腸炎は、胃癌の摘出手術等の消化管手術後に発症するMRSA感染症の一つである。その臨床症状としては、下痢、発熱、頻脈、乏尿、腹部膨満、腹痛、嘔吐、白血球数の減少等がみられるが、そのうちでも、白色のやや濁った特有の臭いを有する多量の流出液、頻回の下痢(白色水様性で、米のとぎ汁様と表現される。)が最も特徴的な臨床症状とされている。
(2) ところが、本件における太郎の臨床症状は、胃液量は多かったが白濁していなかったうえ、米のとぎ汁状の頻回の下痢もみられないなど、MRSA腸炎において最も特徴的とされる症状を欠いており、MRSA腸炎としては非定型的なものであった。なお、太郎に重症の下痢症状が見られるようになったのは四月七日になってからであった。
(3) そして、胃腸からの流出液の細菌培養検査及び薬剤感受性検査の結果が判明すればMRSA腸炎との確定診断をすることができるが、右の検査は、結果が得られるまでに時間を要するのが難点とされており、現に、本件当時の東大分院では、起因菌がMRSAであるかを確定するまでに三日間(細菌培養検査の結果が判明するまで二日、薬剤感受性検査の結果、細菌培養検査で検出された黄色ブドウ球菌がMRSAと判明するまでさらに一日)を要した(なお、右のような検査にこの程度の時間がかかるのは通常であるものと認められる。)。そして、本件においても、右検査の結果の判明が殊更遅れたものとは認められない。なお、甲四四には、従来の方法よりも短時間で起因菌が確定できる方法が紹介されているが、乙五三には、MRSAに関しては感受性測定の迅速化には問題がある旨の指摘がされているうえ、本件当時、右のような方法が一般的なものであったことを認めるに足りる的確な証拠はない。
(4) MRSA腸炎がわが国において報告され始めた時期については、乙五三では一九八五年(昭和六〇年)ころとされているが、本件以後に発行された文献である乙二(平成元年発行〔昭和六三年四月受付の学会誌論文〕)には、「MRSA腸炎はわが国では極めて報告例が少なく、われわれの注意が喚起されることが少ない疾患であったと思われる」旨の指摘がある。
また、昭和六三年二月に行われた日本環境感染症学会において、東大本院の医師がMRSA腸炎の症例を報告しているが、証人紺野昌俊は、これがMRSA腸炎の初めての症例である旨の供述をしている。なお、右報告の際の座長は同証人が務めていた。
さらに、昭和六三年中に全国の外科学会の認定施設八七五か所に対して行われた一九八〇年以降の術後感染症腸炎の有無に関するアンケートでは、三七〇施設(全体の四二・三パーセント)から回答があったにとどまり、その結果、術後感染症系腸炎は二五施設から六七例が報告され、その中で、MRSA腸炎とみられるものは僅か二五例であった。
(5) MRSA感染症の治療方法について
<1> 現在では、バンコマイシンが、MRSA感染症の治療に最も有効な抗菌薬とされているが、この薬剤は副作用が大きいため、これを使用するのはMRSAによる感染が確実であるという症例に限定すべきとの指摘がされている。一方、MRSAはβ-ラクタム剤といわれる薬剤のほとんどに耐性を有しており、一般に、MRSA感染症の治療のためにβ-ラクタム剤を使用すると、かえって逆効果であり、妥当でないとされている。しかしながら、本件当時は、β-ラクタム剤がMRSAに対して有効との報告がされ、MRSA感染症の治療のため、むしろ積極的にこれが用いられていた状況にあった。
また、右当時、わが国では、バンコマイシンは、経口投与のみが厚生省によって認可されていたにすぎず、その効能書にMRSA感染症の治療薬である旨の記載はなかった。なお、バンコマイシンが注射薬として認可され、効能書にMRSA感染症の治療薬との記載がされるようになったのは、平成三年になってからである。
<2> 本件で書証として提出されているMRSA感染症の治療薬に関する文献のうち、{1} 本件(昭和六三年四月)当時、既に発行されていたものの中には、ある抗生剤がMRSAに有効との報告に止まり、具体的な投与方法については何ら触れていないものも多くみうけられるうえ、MRSA感染症に対して、ミノマイシン、バンコマイシンを他の抗生剤より優先的に投与すべきとしているものは特にみあたらない。また、{2} 本件以後に発行されたものの中にも、「部分的には有効と考えられる薬剤もいくつか認められたが、積極的に最も有効であると断定しうる抗菌薬は見出されなかった」(昭和六三年六月発行)、「MRSAについても確立した治療法はない。」(平成元年五月発行)、「治療としての有効な抗生剤は限られており、投与法も確立していないため、発症した際の対処についての検討が必要である。」(昭和六三年一一月発行)などの記載がある。
以上の事実が認められる。
(二) また、右(一)(3)ないし(5)の事情に、《証拠略》を併せると、昭和六三年当時、(1) 外科学会の認定施設となっているような医療機関においても、MRSA腸炎は、臨床現場で一般に知られ、関心が持たれている疾患ではなく、また、(2) MRSA腸炎を含むMRSA感染症の治療方法については、未だ確立するに至っていなかったものと認められる。
(三) なお、(1) 右一2(三)のとおり、東大分院では、本件がMRSA腸炎と考えられるものの第一例であったこと、(2) 東大本院では、昭和六二年にはMRSA腸炎の臨床例を経験していたが、本件全証拠によっても、東大本院と東大分院とが一体をなす医療施設であり、本件当時、東大分院の医師らが、右のような東大本院の臨床例を知るべき立場にあったとは認められないことに照らすと、東大分院の医師らに、右臨床例の経験を前提とする特に高度な医療を期待すべき根拠はないというべきである。
2 原告らの主張に対する判断
(一) 右第二の三2(三)(1)ないし(3)((1) 四月二日、(2) 四月三日午前中、(3) 四月三日午後七時までの各時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失)について
前示事実及び《証拠略》によれば、(1) 右の各時点においては、細菌培養検査及び薬剤感受性検査によって、太郎の臨床症状の起因菌がMRSAと確定されていたわけではなく、しかも、右検査の結果の判明が、殊更遅れたという形跡も窺えないこと、(2) 太郎に対する感染予防のための抗生剤の投与については、当時としては抗生剤を濫用しているものとはいえず、むしろ、その使用の仕方は妥当な部類に属するものであったことが認められる。これらの事実に、(3) 本件当時、MRSA腸炎は、外科学会の認定施設においても、臨床現場で一般に知られ、関心が持たれていた疾患とはいえないこと、(4) 太郎の臨床症状は、MRSA腸炎としては、かなり非定型的なものであったこと(以上、前記前提事実)、(5) 証人紺野昌俊は、太郎の死亡から約六年半経過後の平成六年一一月二四日の本件証拠調期日において、右(4)に沿う供述をしたうえ、太郎がMRSA腸炎であるという確証はないとまで述べていることを併せ考えると、本件当時の医療水準に照らし、東大分院の医師らにおいて、原告ら主張の各時点に、太郎をMRSA感染症(MRSA腸炎)と診断することが期待できたとはいえない。したがって、この点に関する原告らの主張は理由がない。
(二) 同(4)(本件再手術を行った過失)について
争いのない事実等、《証拠略》によれば、(1) 太郎は四月三日の午後三時三〇分にはショック前状態となり、解熱剤等の投与、補液追加の措置にもかかわらず、同日七時二〇分にはショック状態に陥っており、緊急的にこのような症状を改善するための措置を行う必要があったこと、(2) 本件再手術により、太郎の腹腔内の状態を確認することができたうえ、本件再手術の前後とを比べると、血圧が六三/二九から九二/六〇となり、時間尿量も二〇ミリリットル以上が保たれるようになったこと、(3) 文献上、術後感染症としてのMRSA腸炎の臨床例において、本件のように手術創を再開腹し、患者を救命した事例も報告されていることが認められ、これらに照らすと、本件においては、再手術それ自体の適応があったものということができる。右のような事情に、右(一)記載の各事情を併せ考えると、東大分院の医師らが本件再手術を行ったことが不合理な措置であったとは認められないから、この点についても原告らの主張には理由がない。
(三) 同(5)及び(7)((5) 本件再手術直後、(7) 四月四日午後六時までの各時点で、太郎をMRSA感染症と診断しなかった過失)について
右の各時点では太郎の臨床症状の起因菌がMRSAと確定されていたわけではないこと(争いのない事実等)に、右(一)(2)ないし(5)の各事情を総合すると、本件再手術時の肉眼所見を考慮しても、本件当時の医療水準に照らし、東大分院の医師において、原告ら主張の各時点に、太郎をMRSA感染症(MRSA腸炎)と診断すべきことを期待できたとはいえない。のみならず、右第二の二4(四)(2)のとおり、東大分院の医師らは、MRSA腸炎の可能性を疑い、当時MRSAに有効との報告例のあったチェナムの投与を四月四日の午後から太郎に対し投与している。したがって、これらの点についても原告らの主張には理由がない。
(四) 同(6)(本件再手術直後に胃液の培養検査をしなかった過失)について
右(三)のとおり、本件再手術直後の時点で太郎をMRSA感染症と診断すべきであったとはいえないことに、右(一)(2)ないし(5)の各事情、東大分院の医師らは、四月三日午後一〇時(本件再手術時)に採取した腹水については、同月四日に細菌培養の依頼をしていること(争いのない事実等)等を総合すると、本件再手術直後に胃液の培養検査をしなかったことをもって、東大分院の医師らの過失と評価することはできない。したがって、この点についても原告らの主張には理由がない。
(五) 同(8)(四月五日の時点においてバンコマイシン、ミノマイシンの使用を開始しなかった過失)について
(1) 本件当時は、MRSA腸炎は外科学会の認定施設となるような病院においても臨床現場で一般的に知られていた疾患とはいえないこと、(2) 右当時は、現在ではMRSA感染症の治療にはかえって逆効果とされるβ-ラクタム剤が積極的に用いられていた一方、ミノマイシン及びバンコマイシンについては、他の抗生剤より優先的に使用すべきものとされてはいなかったなど、MRSA感染症に対する治療方法は確立していなかったこと、(3) 右当時、わが国においては、バンコマイシンの効能書にMRSA感染症の治療薬との記載はなかったうえ、注射による投与は認可されていなかったこと(以上、前提事実)、(4) 四月五日の時点において、起因菌がMRSAと確定されていたわけではなかったこと(争いのない事実等)に、(5) 東大分院の医師らは、右(1)及び(2)のような状況のもと、文献調査をしながら太郎の治療にあたり、四月四日午後の時点で、当時MRSAに有効との報告があったチェナムの投与を行ったこと(争いのない事実等)を併せ考慮すると、当時の医療水準に照らし、東大分院の医師らに、四月五日の時点で、直ちにミノマイシン、バンコマイシンを投与することを期待できたとはいえない。したがって、この点に関する原告らの主張も理由がない。
(六) よって、争点2(二)に関する原告らの主張はいずれも理由がない。
第四 結論
以上の次第であって、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 園部秀穂 裁判官 田中一彦)
裁判官 角 隆博は、転補につき、署名捺印することができない。
(裁判長裁判官 園部秀穂)